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2012-03-26(Mon)
医者や薬は、私にはほぼ効果がなかったと言って良いだろう。
当時飲まされていたのは、三環系抗うつ薬と呼ばれる副作用の強い薬がメインで、食欲が減退して病的なほど痩せたり、かと思えば過食が止まらなくなったり、寝ても寝ても目が覚めず頭がスッキリしなかったり、常に身体がダルくて何をするのも億劫だったりと、終始副作用と戦っていた。
医者や薬より、私にとって効果的だったのは、とにかくひたすら休養すること。
とにかく寝る。ゴロゴロする。深く物事を考えない。
何も出来なくなってしまった自分が情けないとか、早く勉強なり仕事なりしなければとか、焦って行動しようとすればするほど空回りして、結局は遠回りになった。
高機能自閉症者の体験談を描いた漫画 「この星のぬくもり―自閉症児のみつめる世界
」 の主人公も、私と同じような年齢で疲れ果て、社会から一時期ドロップアウトしていたというような描写がラストの方にあったが、高機能やアスペルガーと呼ばれる人たちの多くが辿る道なのかもしれない。
頭も身体もフル回転させ、周りの “普通” と呼ばれるあらゆるものに合わせ馴染もうと努力しても、それは私たちにとっては甚だ “普通” ではない状態なのだから、限界が来て壊れてしまうのは当たり前だろう。
なので私は息子にも、「普通じゃなくてもいい」 「努力はホドホドでいい」 と思っているし、そういうスタンスで接している。
結果、私の幼少時とはあまりに違う天真爛漫ぶりで、自閉症児独特の癇癪やこだわりの強さ、神経質さといったものが殆どない。
急な予定変更にもすんなり対応出来るし、「適当に」 「ま、いいか!」 が通用する、割と珍しいタイプの自閉っ子だ。
同様に自閉症児を育てる周りのママさんからよく羨ましがられるが、これは息子の持って生まれた性格という面もあるだろうが、育て方も多分に影響していると思う。
私は、自閉症児が同じ道順や同じ物事の順序や同じ配列にこだわり続けるのは、本人が好き好んでやっている訳ではないと思っている。
それは自分自身が、止めたいのに止められない、次から次へと湧き出してくるこだわりに苦しみ、そのためにどんどん神経質な性格となり、苦しみの連鎖を断ち切りたいのに断ち切れない、悪循環の中で過ごした幼少時代を経験しているから。
息子にはあの苦しみを経験させたくなかった。
だから何か新しいこだわりが出てくる毎に、夫と協力して故意にそれを潰してきた。(詳細は、またいつか書きます)
この対応は正解だったと思っている。
話は逸れたが、私はひたすら休養をとり、内に閉じ篭る生活を何年も続けた後、ようやく少しずつ外に目が向くようになった。
その頃に出会ったのが、私のような奇妙な女を気に入ってくれた物好きの夫で、やがて結婚することに。
そして入籍後まもなく、私を母に選んでお腹に宿った物好き第2号が息子なのだった。


よろしければ、1クリックお願い致します。
当時飲まされていたのは、三環系抗うつ薬と呼ばれる副作用の強い薬がメインで、食欲が減退して病的なほど痩せたり、かと思えば過食が止まらなくなったり、寝ても寝ても目が覚めず頭がスッキリしなかったり、常に身体がダルくて何をするのも億劫だったりと、終始副作用と戦っていた。
医者や薬より、私にとって効果的だったのは、とにかくひたすら休養すること。
とにかく寝る。ゴロゴロする。深く物事を考えない。
何も出来なくなってしまった自分が情けないとか、早く勉強なり仕事なりしなければとか、焦って行動しようとすればするほど空回りして、結局は遠回りになった。
高機能自閉症者の体験談を描いた漫画 「この星のぬくもり―自閉症児のみつめる世界
頭も身体もフル回転させ、周りの “普通” と呼ばれるあらゆるものに合わせ馴染もうと努力しても、それは私たちにとっては甚だ “普通” ではない状態なのだから、限界が来て壊れてしまうのは当たり前だろう。
なので私は息子にも、「普通じゃなくてもいい」 「努力はホドホドでいい」 と思っているし、そういうスタンスで接している。
結果、私の幼少時とはあまりに違う天真爛漫ぶりで、自閉症児独特の癇癪やこだわりの強さ、神経質さといったものが殆どない。
急な予定変更にもすんなり対応出来るし、「適当に」 「ま、いいか!」 が通用する、割と珍しいタイプの自閉っ子だ。
同様に自閉症児を育てる周りのママさんからよく羨ましがられるが、これは息子の持って生まれた性格という面もあるだろうが、育て方も多分に影響していると思う。
私は、自閉症児が同じ道順や同じ物事の順序や同じ配列にこだわり続けるのは、本人が好き好んでやっている訳ではないと思っている。
それは自分自身が、止めたいのに止められない、次から次へと湧き出してくるこだわりに苦しみ、そのためにどんどん神経質な性格となり、苦しみの連鎖を断ち切りたいのに断ち切れない、悪循環の中で過ごした幼少時代を経験しているから。
息子にはあの苦しみを経験させたくなかった。
だから何か新しいこだわりが出てくる毎に、夫と協力して故意にそれを潰してきた。(詳細は、またいつか書きます)
この対応は正解だったと思っている。
話は逸れたが、私はひたすら休養をとり、内に閉じ篭る生活を何年も続けた後、ようやく少しずつ外に目が向くようになった。
その頃に出会ったのが、私のような奇妙な女を気に入ってくれた物好きの夫で、やがて結婚することに。
そして入籍後まもなく、私を母に選んでお腹に宿った物好き第2号が息子なのだった。
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テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム
ジャンル : 心と身体
2012-02-03(Fri)
相当な努力の末、普通を装うことに成功していた私だったが、その間、頭の中のコンピュータはフル回転だった。
みんなにとっては、普通で自然な行動や言動の数々が、私にとっては何もかも、いちいちプログラミング処理して稼働させなければならないような不自然なことばかり。
そんな日々の生活で、無理やり普通を装い続けた私の疲労の色は、年々濃くなっていった。
そして遂に、12歳の時から努力して、ようやく得ることの出来た “普通の人” というレッテルは、7年後に剥がれ落ちたのである。
長年、メンテナンスも無しにフル稼働していたコンピュータが、負荷に耐えかねてプツンと停止したかの如く。
19歳の春の日、それは全く唐突に。私の心身は活動を停止した。
とにかく全身が重くてだるくて、ろくに動かない。
出かけなくてはならない時間になっても、布団から出ることも出来ない。
それ以前に、頭の中も思考停止しており、日常的なスケジュールをこなさなくては、という意思すら失せていた。
動かない身体、靄がかかったような脳裏。
自分はどうしてしまったのか。何とかしなければ。とか、そんな通常の思考すら働かず。
ただひたすらに疲れきった、私の身体や心や全てが、ピタリと止まってしまったようだった。
数日後、私は母に引きずられるように精神科の門をくぐった。
そこで言い渡されたのは “鬱病” という病名。
抗鬱剤、抗不安剤、睡眠導入剤など、大量の投薬生活が始まった。
だが、それらの薬を飲んでも、私の状態は全く好転しなかった。
過去の虐待のこともあり、多少は責任を感じていたらしい母が、カウンセリングやら催眠療法やら、色々な治療法を見つけては、私を引きずって連れて行ったが、何をしても効果がなかった。
まず、カウンセリングに関しては、私は今でも疑問を持っている。
一口にカウンセリングといっても色々な形があるのだとは思うが、私が経験したのは、患者が一方的に自分の辛かった経験や現在の思いなどを語り、医師がそれを聞くというもの。
基本的に医師は、こちらの言うことに反論したりしないし、アドバイスも滅多にしない。
ひたすら聞き役に徹して、私はあなたの気持ちが分かりますよ、と理解の姿勢を示すのだ。
これは、女性同士の付き合いでもよくある。
何か悩みや迷いがあると、親しい女友達に話を聞いて貰って、自分の言いたいことをぶちまけて、それを繰り返す内にスッキリするというやつだ。
「何も出来ないけれど、話だけならいくらでも聞くからね」
こんな台詞を、何度聞いたかわからない。
女性というものは、いや、男性もそうなのかもしれないが、そのように言われると、有難いと思うのだそうだ。
私にはさっぱり理解出来ない。
“何も出来ない” なら、“話をするだけ無駄” じゃないか?
「何か力になれるかもしれないから、話してみなさい」 と言われたならば、とても有難いと感じるが、
ただ話をして→誰かにそれを聞いて貰い→受け入れて貰って→納得する、という図式がどうしても理解出来ないのだ。
だって肝心なのは、悩みの本質にある問題点ではないのか?
その問題点について、こうしたら、ああしたら、というアドバイスが欲しいと私は思う。
でも普通の人? 少なくとも女性には、そうではない人が多い。
下手なアドバイスをすると、逆にムッとされることすらある。
彼女らは、ひたすら自分の話や愚痴を、「ウンウンそうだね、気持ち分かるよ」 と受け入れて貰いたいのだ。
それが普通、もしくは女性的な傾向だというなら、私はやはり普通ではないし、女性的でもないのだろう。
実際、あちこちの病院へ引きずられて心理テストだのロールシャッハだの箱庭だの色々やったけれど、私の思考パターンはかなり男性寄りなのだそうだ。
その結果を聞いて、妙に納得もした。
私は昔から、同性よりも、異性である男性の方が話しやすく、楽に付き合える。
女性に関しては、未だに理解出来ない部分が多く、付き合いづらいと感じることが多い。
と、私はそういう考えなので、カウンセリングをすることの意味が分からなかった。
自分にはなんの意味もない、と感じてすらいた。
それから、催眠療法。
高額な料金を支払い、専門の施設で受けたのだが…。
私は、まったく催眠にかからなかったw
「初回はかからない方もいるので、何度かやって慣れてくれば…」 と言われ、しぶしぶ通ったが、何度試みても無駄だった。
頭に電極が付けられ、しっかり脳波をモニターされているので、催眠にかかったかどうかは一目瞭然で、誤魔化しが効かない。
私は言われるままに目を閉じて、終始ただ先生の声を聞いているだけだった。
それなりに高名な先生だったので、「こんなに全く催眠にかけられなかった患者は初めてだ、力不足で申し訳ない」 と、先生を凹ませてしまった。
もしかして、自閉症スペクトラムの人間は、催眠にかかりにくいのではないだろうか…?
この頃は他にも、神経科や心療内科や漢方相談や、あちこちへ連れて行かれ治療を受けたが、どの治療機関も私に正確な診断を下してはくれなかった。
“鬱病” “不安症” “神経症” “自律神経失調症” ありとあらゆるメンタルな病名だけが増えていった。
この時に、アスペルガーだと診断してくれる医師が1人でも居たなら、私はどれだけ救われただろう。
だが、当時は今ほど発達障害というものが世間に浸透しておらず、私も親も、医師ですら、そんなことを思い付きもしなかった。

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みんなにとっては、普通で自然な行動や言動の数々が、私にとっては何もかも、いちいちプログラミング処理して稼働させなければならないような不自然なことばかり。
そんな日々の生活で、無理やり普通を装い続けた私の疲労の色は、年々濃くなっていった。
そして遂に、12歳の時から努力して、ようやく得ることの出来た “普通の人” というレッテルは、7年後に剥がれ落ちたのである。
長年、メンテナンスも無しにフル稼働していたコンピュータが、負荷に耐えかねてプツンと停止したかの如く。
19歳の春の日、それは全く唐突に。私の心身は活動を停止した。
とにかく全身が重くてだるくて、ろくに動かない。
出かけなくてはならない時間になっても、布団から出ることも出来ない。
それ以前に、頭の中も思考停止しており、日常的なスケジュールをこなさなくては、という意思すら失せていた。
動かない身体、靄がかかったような脳裏。
自分はどうしてしまったのか。何とかしなければ。とか、そんな通常の思考すら働かず。
ただひたすらに疲れきった、私の身体や心や全てが、ピタリと止まってしまったようだった。
数日後、私は母に引きずられるように精神科の門をくぐった。
そこで言い渡されたのは “鬱病” という病名。
抗鬱剤、抗不安剤、睡眠導入剤など、大量の投薬生活が始まった。
だが、それらの薬を飲んでも、私の状態は全く好転しなかった。
過去の虐待のこともあり、多少は責任を感じていたらしい母が、カウンセリングやら催眠療法やら、色々な治療法を見つけては、私を引きずって連れて行ったが、何をしても効果がなかった。
まず、カウンセリングに関しては、私は今でも疑問を持っている。
一口にカウンセリングといっても色々な形があるのだとは思うが、私が経験したのは、患者が一方的に自分の辛かった経験や現在の思いなどを語り、医師がそれを聞くというもの。
基本的に医師は、こちらの言うことに反論したりしないし、アドバイスも滅多にしない。
ひたすら聞き役に徹して、私はあなたの気持ちが分かりますよ、と理解の姿勢を示すのだ。
これは、女性同士の付き合いでもよくある。
何か悩みや迷いがあると、親しい女友達に話を聞いて貰って、自分の言いたいことをぶちまけて、それを繰り返す内にスッキリするというやつだ。
「何も出来ないけれど、話だけならいくらでも聞くからね」
こんな台詞を、何度聞いたかわからない。
女性というものは、いや、男性もそうなのかもしれないが、そのように言われると、有難いと思うのだそうだ。
私にはさっぱり理解出来ない。
“何も出来ない” なら、“話をするだけ無駄” じゃないか?
「何か力になれるかもしれないから、話してみなさい」 と言われたならば、とても有難いと感じるが、
ただ話をして→誰かにそれを聞いて貰い→受け入れて貰って→納得する、という図式がどうしても理解出来ないのだ。
だって肝心なのは、悩みの本質にある問題点ではないのか?
その問題点について、こうしたら、ああしたら、というアドバイスが欲しいと私は思う。
でも普通の人? 少なくとも女性には、そうではない人が多い。
下手なアドバイスをすると、逆にムッとされることすらある。
彼女らは、ひたすら自分の話や愚痴を、「ウンウンそうだね、気持ち分かるよ」 と受け入れて貰いたいのだ。
それが普通、もしくは女性的な傾向だというなら、私はやはり普通ではないし、女性的でもないのだろう。
実際、あちこちの病院へ引きずられて心理テストだのロールシャッハだの箱庭だの色々やったけれど、私の思考パターンはかなり男性寄りなのだそうだ。
その結果を聞いて、妙に納得もした。
私は昔から、同性よりも、異性である男性の方が話しやすく、楽に付き合える。
女性に関しては、未だに理解出来ない部分が多く、付き合いづらいと感じることが多い。
と、私はそういう考えなので、カウンセリングをすることの意味が分からなかった。
自分にはなんの意味もない、と感じてすらいた。
それから、催眠療法。
高額な料金を支払い、専門の施設で受けたのだが…。
私は、まったく催眠にかからなかったw
「初回はかからない方もいるので、何度かやって慣れてくれば…」 と言われ、しぶしぶ通ったが、何度試みても無駄だった。
頭に電極が付けられ、しっかり脳波をモニターされているので、催眠にかかったかどうかは一目瞭然で、誤魔化しが効かない。
私は言われるままに目を閉じて、終始ただ先生の声を聞いているだけだった。
それなりに高名な先生だったので、「こんなに全く催眠にかけられなかった患者は初めてだ、力不足で申し訳ない」 と、先生を凹ませてしまった。
もしかして、自閉症スペクトラムの人間は、催眠にかかりにくいのではないだろうか…?
この頃は他にも、神経科や心療内科や漢方相談や、あちこちへ連れて行かれ治療を受けたが、どの治療機関も私に正確な診断を下してはくれなかった。
“鬱病” “不安症” “神経症” “自律神経失調症” ありとあらゆるメンタルな病名だけが増えていった。
この時に、アスペルガーだと診断してくれる医師が1人でも居たなら、私はどれだけ救われただろう。
だが、当時は今ほど発達障害というものが世間に浸透しておらず、私も親も、医師ですら、そんなことを思い付きもしなかった。
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テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム
ジャンル : 心と身体
2012-01-12(Thu)
夫のブログ で書かれてしまいましたがw 年末年始というものが、私は昔から苦手です。
正確に言うと、下の記事で書いたような “年末年始の挨拶” というのが本当はダメだったりします^^;
出来るようにはなったし、文章ならだいぶ平気なのですが…。
ついでに、クリスマスの日に言う 「メリー・クリスマス!」 あれもダメです。大嫌いです。
若い頃はこれらの挨拶から逃げるためだけに、大晦日から3日間くらいプチ家出をしていたほどです。
年くってからは、周りとの協調を図るためと割りきって言えるようになりましたが、頭では割りきっているつもりでも、相当ストレスがかかっているらしく、確実に身体の方に出ます。
それで毎年、年末年始は具合が悪いのですが、今年は特に酷くて、正月はほぼ寝込んで過ごしてしまいました。
今週頭くらいに、やっとダメージが回復してきた次第です。
何故ただの挨拶がこれほど嫌なのか?
おかしいですよね。自分自身にも、明確な所はわからないのです。
ただ言えることは、「挨拶をする理由がわからない」 。
「ありがとう」 や 「ごめんなさい」 は、その前に起因する自分の行動があってのことなので意味がわかるのですが、
朝だから 「おはよう」 お昼だから 「こんにちは」 夜になれば 「こんばんは」 ???
これらの朝昼晩の挨拶も苦手ですが、日常的に耳にするのでだいぶ慣れたと思います。
しかし、1年に1度しか巡ってこない特定シーズン限定の 「メリー・クリスマス」 「良いお年を」 「明けましておめでとうございます」 この一連の挨拶…。
未だに克服出来ませんorz
きっと人は、それらの挨拶を交わすことで、他者とのコミュニケーションが円滑になるから…。
いや、そんな理由すらいちいち考えなくとも、自然な習慣となっているのでしょう。
一方、自閉症の息子はというと、これまた 夫のブログ で先に書かれているように、私とは真逆で、これらの挨拶を周りに言いまくります。
“この日にはこう言う” とパターン化されたものが入っている。
あるいは普通に子供らしく “イベント時は何となく楽しいから挨拶したくなる” “ちゃんと挨拶をして褒めて貰うのが嬉しい” のかもしれません。
夫や父母などはそう言っています。
でも私には、もう1つの可能性が見えてしまう。
“本当は言いたくないけれど、周りに言わされるから、ヤケクソになって言いまくっている” w
こんな風に考えてしまうのは、きっと私が私だから、なのでしょうけれど^^;
散文にはせず、時系列でいきますと書いたばかりだというのに、さっそく散文を書いてしまいました。
もうちょっと精神的に回復したら、ちゃんと続きを書きます。


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出来るようにはなったし、文章ならだいぶ平気なのですが…。
ついでに、クリスマスの日に言う 「メリー・クリスマス!」 あれもダメです。大嫌いです。
若い頃はこれらの挨拶から逃げるためだけに、大晦日から3日間くらいプチ家出をしていたほどです。
年くってからは、周りとの協調を図るためと割りきって言えるようになりましたが、頭では割りきっているつもりでも、相当ストレスがかかっているらしく、確実に身体の方に出ます。
それで毎年、年末年始は具合が悪いのですが、今年は特に酷くて、正月はほぼ寝込んで過ごしてしまいました。
今週頭くらいに、やっとダメージが回復してきた次第です。
何故ただの挨拶がこれほど嫌なのか?
おかしいですよね。自分自身にも、明確な所はわからないのです。
ただ言えることは、「挨拶をする理由がわからない」 。
「ありがとう」 や 「ごめんなさい」 は、その前に起因する自分の行動があってのことなので意味がわかるのですが、
朝だから 「おはよう」 お昼だから 「こんにちは」 夜になれば 「こんばんは」 ???
これらの朝昼晩の挨拶も苦手ですが、日常的に耳にするのでだいぶ慣れたと思います。
しかし、1年に1度しか巡ってこない特定シーズン限定の 「メリー・クリスマス」 「良いお年を」 「明けましておめでとうございます」 この一連の挨拶…。
未だに克服出来ませんorz
きっと人は、それらの挨拶を交わすことで、他者とのコミュニケーションが円滑になるから…。
いや、そんな理由すらいちいち考えなくとも、自然な習慣となっているのでしょう。
一方、自閉症の息子はというと、これまた 夫のブログ で先に書かれているように、私とは真逆で、これらの挨拶を周りに言いまくります。
“この日にはこう言う” とパターン化されたものが入っている。
あるいは普通に子供らしく “イベント時は何となく楽しいから挨拶したくなる” “ちゃんと挨拶をして褒めて貰うのが嬉しい” のかもしれません。
夫や父母などはそう言っています。
でも私には、もう1つの可能性が見えてしまう。
“本当は言いたくないけれど、周りに言わされるから、ヤケクソになって言いまくっている” w
こんな風に考えてしまうのは、きっと私が私だから、なのでしょうけれど^^;
散文にはせず、時系列でいきますと書いたばかりだというのに、さっそく散文を書いてしまいました。
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ジャンル : 心と身体
2012-01-06(Fri)
新年明けましておめでとうございます。
昨年末、思いきってこのブログを開設して早々、意外と多くの方が読みに来て下さっているようで、アクセス解析を見て驚いています。
最初の記事で書いた通り、サイト作りが趣味で、今も複数のサイトを運営しているのですが、このところ調子に乗って手を広げ過ぎてしまって…更新が追いつかない!
こちらのブログも、末永くぼちぼちやっていきますので、どうぞこれからもよろしくお願いします。

ちなみにこのブログ、自閉症児である息子の療育や教育をメインに書くつもりなのですが、現段階では私の回顧録&一人語りになってしまってますねorz
散文的に、自分のことを書いたり、息子のことを書いたり、その時々で内容を変えようかとも考えたのですが、それだと記事を読み返した時に時系列がわかりづらく、後から読みに来て下さった人はややこしいだろうな~…と思いまして、やはり順番に書いていくことに決めました。
なのでしばらくは、私の回顧録がウダウダと続きます…<(_ _)>
自分の結婚、妊娠、出産、そして息子の障害発覚、育児についてと、時系列順で書いていきます。
気長にお付き合い下されば幸いです。
2012年が、皆様にとって素敵な1年となりますように!

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ちなみにこのブログ、自閉症児である息子の療育や教育をメインに書くつもりなのですが、現段階では私の回顧録&一人語りになってしまってますねorz
散文的に、自分のことを書いたり、息子のことを書いたり、その時々で内容を変えようかとも考えたのですが、それだと記事を読み返した時に時系列がわかりづらく、後から読みに来て下さった人はややこしいだろうな~…と思いまして、やはり順番に書いていくことに決めました。
なのでしばらくは、私の回顧録がウダウダと続きます…<(_ _)>
自分の結婚、妊娠、出産、そして息子の障害発覚、育児についてと、時系列順で書いていきます。
気長にお付き合い下されば幸いです。
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2011-12-30(Fri)
それ以外にも、筆圧がなく、いつまでもミミズが這うような字しか書けなくて、小学校時代サンザン字が汚いと馬鹿にされたことを教訓に、家で1人で字の練習に励んだ。
独自に考えた練習法は、新聞や教科書、雑誌や漫画などの、印字された文字をひとつひとつ地道に模写していくというものだった。
自閉症者は “模倣” は苦手だが、何故か “模写” は得意な人が多い。
よく、電車や新幹線、一度見ただけの景色等を、正確に細部までそっくりに描きあげる自閉症の人が居るが、私もそれに近い。
オリジナルや想像で絵を描くと、しょうこお姉さんレベルの絵(失礼^^;)になるのだが、静物でも人物でもモデルとなるものが目の前にあれば、かなりそっくりに描くことが出来る。
その絵には、自分なりの解釈やアレンジや思い入れといったものは一切入らないので、ただ見たまんまを描いた、面白味のない模写として仕上がる。
字の練習は、この特性が大いにプラスに働き、あっという間に効果が上がった。
それ以来、現在もなお、私は一転して 「綺麗な字だね!」 と皆に褒められるようになり、何かと代筆を頼まれたり、授業でとったノートがクラス中で貸して貸してと引っ張りだこになったりした。
但し、筆圧の弱さは克服ならず、鉛筆は未だに2Bくらいでなければ使い物にならない。
手足の感覚が改善したとは言え、指先や末端などは充分ではないようで、普通の人よりもだいぶ不器用だ。
また、前々回の日記で “どうやってボールを投げればいいのか分からない” と書いたが、これも必死で練習したことの一つだ。
15歳の頃。学校で、1ヶ月後に球技大会を行うと告げられ、種目はバレーボールだった。
それに向けた練習が始まったのだが、どうしてもサーブが上手く打てなくて、みんなの足を引っ張った。
ドッジボールですら、陣地の端の人までボールが届かない私に、サーブなどとても無理だった。
そもそも不思議で仕方ないのだが、どうして普通の人は、特に手取り足取り教えられたわけでもないのに、自然と “投げる” という動作が出来るのだろう?
少なくとも私の周りでは “ボールの投げ方” なんてものを、わざわざ丁寧に教えてくれる先生など居なかった。
それは出来て当然のものとされていたように思う。
見様見真似で、手にボールを持ち、前へ押し出してみても、ボールは目の前にポトンと落ちる。
「ちょっと~、真面目にやんなよw」 とよく笑われて、私も曖昧な笑顔で誤魔化し続けていたが、本当はずっとずっと大真面目だったのだ。
これに関しては、字の練習のようにすんなりとはいかなかった。
何せ苦手な “模倣” の類である。私に出来る模倣など、上に書いたような “手にボールを持ち、その手を前に出す” その程度なのだ。
自分には、模倣でこれを何とかするのは絶対に無理だ。ではどうする?
サンザン悩んだ末、私は近所の図書館へ行った。
そして、百科事典コーナーの中から、体育やスポーツに関する分厚い1冊を選び出し、その中にバレーボールの項を見つけた。
そこには、サーブを打つ際の全身の動きがコマ割りで図解されていた。
それまでの私はただ、手首にボールを当てていただけなので前に飛ばなかった訳だが、百科事典の図解を見ると、その人物絵は足をやや開いて立ち、ボールを真上に放り上げた直後に膝と腰を屈め、徐々に伸ばしていき、そしてボールを打つと同時に膝と腰を完全に伸ばして、なおかつ全身は前方に傾斜していた。
それらの動きに、右腕を後方から半回転させるようにして前方へ持ってきて、タイミング良く左手に持ったボールを放り上げ、それを右手首に当てるという動作がプラスされる。
手だけではなく、いっぺんに足や膝や腰や全身を動かさなくてはならないのか…しかもこんな複雑な順序で。
私は頭を抱えた。どうしてみんな、こんな複雑怪奇な動作が自然に出来るのだろう??
あまりに難しすぎて不安だったが、球技大会当日までに、とにかくこれを練習するしかない。
百科事典を借りることは出来なかったので、私はそこに描かれた人物絵の図解を頭の中に叩き込んで帰った。
そしてその日の晩から、家にあったでかくて重いゴムボールを持って、少し距離のある広い公園まで通った。
そこにはちょっとしたアスレチックがあり、その中の一つに、何という名前なのかは知らないが、格子状になった鎖に足をかけて上まで登る遊具があった。
私はそれをバレーコートのネットに見立てた。
明らかにネットよりも遥かに高さがあったが、とりあえず代わりになりそうなものがそれしかなかった。
夜なので人も居ない。私は図書館で見たあの図解を思い出しながら、その遊具に向かってボールを打った。
最初は、全くコツが掴めず話にならなかった。
それでも毎日夜の公園へ通い続け、1週間経つ頃には、ある程度の距離から遊具までボールが届くようになった。
そして2週間が経つ頃には、なんと私が打ったボールが、ネットよりも遥かに高いその遊具を超えるようになった。
しかも使っているものは、バレーボールよりずっと重たいゴムボールである。これならいけるかもしれない、そう思った。
まもなく学校で、球技大会へ向けた練習がいつものように始まった。
私はさっそく、公園で練習した成果を試した。
だが、練習に使ったボールがゴムボールであったこと、ネット代わりにしていたのは、うんと高さのあるアスレチック遊具であったことを考慮して、練習時よりもかなり控えめに打ってみた。
加減がよくわからないから失敗するだろうけど、どうせいつも失敗してみんなの足を引っ張っているのだから、とにかくやってみるしかないという気持ちだった。
それが思わぬことに、私の打ったサーブは初めてバレーコートのネットを超え、更にその奥まで飛び、エンドラインギリギリという絶妙な位置に落ちた。
初歩的なアンダーサーブであるのに結構なスピードが出たこと、そして何より打つのが私ということで油断もあったのだと思うが、相手チームの誰も反応出来なかった。
みんな驚いていたけれど、一番驚いたのは自分だった。しばらくポカンと口を開け、今起きたことが信じられなかった。
その後も、私は続けてサーブを打ち、相手チームはさすがに止めようと動いたが、殆どかすりもせずに、私のサーブはエンドラインギリギリに連続して落ちた。
何本か打った頃、さすがに疲れてエンドラインを超えてしまい、そこで私のサーブデビュー(?)は終わったが、いきなり1人で点を入れまくってしまった。
球技大会当日も、このサーブのおかげでかなり活躍出来たが、それまでの間、友達や先生から何度も 「それだけ凄いの打てるんだったら、アンダーじゃなくてジャンプサーブで打ってみなよ!」 と勧められ、頑なに断り続けた。
シャンプサーブもきっと、全身を使った複雑怪奇な動きなのだろう…。また一から叩きこんで練習するのは、正直懲り懲りだった。
ちなみに、練習して出来るようになったのはアンダーサーブだけなので、ジャンプサーブはもちろん、“ボールを投げる” という動作が私は未だに出来ません。
私がボールを投げれば、昔と変わらず、目の前にポトンと落ちるだけです。
おそらく一生このままでしょうw


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独自に考えた練習法は、新聞や教科書、雑誌や漫画などの、印字された文字をひとつひとつ地道に模写していくというものだった。
自閉症者は “模倣” は苦手だが、何故か “模写” は得意な人が多い。
よく、電車や新幹線、一度見ただけの景色等を、正確に細部までそっくりに描きあげる自閉症の人が居るが、私もそれに近い。
オリジナルや想像で絵を描くと、しょうこお姉さんレベルの絵(失礼^^;)になるのだが、静物でも人物でもモデルとなるものが目の前にあれば、かなりそっくりに描くことが出来る。
その絵には、自分なりの解釈やアレンジや思い入れといったものは一切入らないので、ただ見たまんまを描いた、面白味のない模写として仕上がる。
字の練習は、この特性が大いにプラスに働き、あっという間に効果が上がった。
それ以来、現在もなお、私は一転して 「綺麗な字だね!」 と皆に褒められるようになり、何かと代筆を頼まれたり、授業でとったノートがクラス中で貸して貸してと引っ張りだこになったりした。
但し、筆圧の弱さは克服ならず、鉛筆は未だに2Bくらいでなければ使い物にならない。
手足の感覚が改善したとは言え、指先や末端などは充分ではないようで、普通の人よりもだいぶ不器用だ。
また、前々回の日記で “どうやってボールを投げればいいのか分からない” と書いたが、これも必死で練習したことの一つだ。
15歳の頃。学校で、1ヶ月後に球技大会を行うと告げられ、種目はバレーボールだった。
それに向けた練習が始まったのだが、どうしてもサーブが上手く打てなくて、みんなの足を引っ張った。
ドッジボールですら、陣地の端の人までボールが届かない私に、サーブなどとても無理だった。
そもそも不思議で仕方ないのだが、どうして普通の人は、特に手取り足取り教えられたわけでもないのに、自然と “投げる” という動作が出来るのだろう?
少なくとも私の周りでは “ボールの投げ方” なんてものを、わざわざ丁寧に教えてくれる先生など居なかった。
それは出来て当然のものとされていたように思う。
見様見真似で、手にボールを持ち、前へ押し出してみても、ボールは目の前にポトンと落ちる。
「ちょっと~、真面目にやんなよw」 とよく笑われて、私も曖昧な笑顔で誤魔化し続けていたが、本当はずっとずっと大真面目だったのだ。
これに関しては、字の練習のようにすんなりとはいかなかった。
何せ苦手な “模倣” の類である。私に出来る模倣など、上に書いたような “手にボールを持ち、その手を前に出す” その程度なのだ。
自分には、模倣でこれを何とかするのは絶対に無理だ。ではどうする?
サンザン悩んだ末、私は近所の図書館へ行った。
そして、百科事典コーナーの中から、体育やスポーツに関する分厚い1冊を選び出し、その中にバレーボールの項を見つけた。
そこには、サーブを打つ際の全身の動きがコマ割りで図解されていた。
それまでの私はただ、手首にボールを当てていただけなので前に飛ばなかった訳だが、百科事典の図解を見ると、その人物絵は足をやや開いて立ち、ボールを真上に放り上げた直後に膝と腰を屈め、徐々に伸ばしていき、そしてボールを打つと同時に膝と腰を完全に伸ばして、なおかつ全身は前方に傾斜していた。
それらの動きに、右腕を後方から半回転させるようにして前方へ持ってきて、タイミング良く左手に持ったボールを放り上げ、それを右手首に当てるという動作がプラスされる。
手だけではなく、いっぺんに足や膝や腰や全身を動かさなくてはならないのか…しかもこんな複雑な順序で。
私は頭を抱えた。どうしてみんな、こんな複雑怪奇な動作が自然に出来るのだろう??
あまりに難しすぎて不安だったが、球技大会当日までに、とにかくこれを練習するしかない。
百科事典を借りることは出来なかったので、私はそこに描かれた人物絵の図解を頭の中に叩き込んで帰った。
そしてその日の晩から、家にあったでかくて重いゴムボールを持って、少し距離のある広い公園まで通った。
そこにはちょっとしたアスレチックがあり、その中の一つに、何という名前なのかは知らないが、格子状になった鎖に足をかけて上まで登る遊具があった。
私はそれをバレーコートのネットに見立てた。
明らかにネットよりも遥かに高さがあったが、とりあえず代わりになりそうなものがそれしかなかった。
夜なので人も居ない。私は図書館で見たあの図解を思い出しながら、その遊具に向かってボールを打った。
最初は、全くコツが掴めず話にならなかった。
それでも毎日夜の公園へ通い続け、1週間経つ頃には、ある程度の距離から遊具までボールが届くようになった。
そして2週間が経つ頃には、なんと私が打ったボールが、ネットよりも遥かに高いその遊具を超えるようになった。
しかも使っているものは、バレーボールよりずっと重たいゴムボールである。これならいけるかもしれない、そう思った。
まもなく学校で、球技大会へ向けた練習がいつものように始まった。
私はさっそく、公園で練習した成果を試した。
だが、練習に使ったボールがゴムボールであったこと、ネット代わりにしていたのは、うんと高さのあるアスレチック遊具であったことを考慮して、練習時よりもかなり控えめに打ってみた。
加減がよくわからないから失敗するだろうけど、どうせいつも失敗してみんなの足を引っ張っているのだから、とにかくやってみるしかないという気持ちだった。
それが思わぬことに、私の打ったサーブは初めてバレーコートのネットを超え、更にその奥まで飛び、エンドラインギリギリという絶妙な位置に落ちた。
初歩的なアンダーサーブであるのに結構なスピードが出たこと、そして何より打つのが私ということで油断もあったのだと思うが、相手チームの誰も反応出来なかった。
みんな驚いていたけれど、一番驚いたのは自分だった。しばらくポカンと口を開け、今起きたことが信じられなかった。
その後も、私は続けてサーブを打ち、相手チームはさすがに止めようと動いたが、殆どかすりもせずに、私のサーブはエンドラインギリギリに連続して落ちた。
何本か打った頃、さすがに疲れてエンドラインを超えてしまい、そこで私のサーブデビュー(?)は終わったが、いきなり1人で点を入れまくってしまった。
球技大会当日も、このサーブのおかげでかなり活躍出来たが、それまでの間、友達や先生から何度も 「それだけ凄いの打てるんだったら、アンダーじゃなくてジャンプサーブで打ってみなよ!」 と勧められ、頑なに断り続けた。
シャンプサーブもきっと、全身を使った複雑怪奇な動きなのだろう…。また一から叩きこんで練習するのは、正直懲り懲りだった。
ちなみに、練習して出来るようになったのはアンダーサーブだけなので、ジャンプサーブはもちろん、“ボールを投げる” という動作が私は未だに出来ません。
私がボールを投げれば、昔と変わらず、目の前にポトンと落ちるだけです。
おそらく一生このままでしょうw
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テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム
ジャンル : 心と身体


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